危険を危険だとはっきり言うのが専門家

ここ最近、原発関連の書籍を読んでいることは先日のエントリーに書きました。で、真剣に考えなければならない話は幾つもあるのですが、昨日東大アイソトープ総合センターの所長である児玉龍彦教授の「内部被曝の真実」を読んでいて、非常に胸を打つ箇所がありました。挙げてみます。


内部被曝の真実 (幻冬舎新書)

内部被曝の真実 (幻冬舎新書)

危険を危険だとはっきり言うのが専門家


― 福島にとどまって住まざるを得ない人々がいる以上、その人たちのためにどのような対応急ぐべきかが重要だ。危険だ、危険だとばかり言っていてもしょうがないのではないか。


これは危険というものに対して、専門家がどう対処すべきかという問題です。
物事には 「属性」 と 「本質」 があります。「波の高さが何メートルか」 というのは属性の議論です。これに対して 「波と津波は全然違って、沖合で3メートルでも、持っているエネルギーが違うから、岸に来たら30メートルになりますよ」 というのが本質論です。専門家がすべきなのは本質論です。だけれど原子力学会では 「何メートルの津波を想定すればいいか」 という津波の評価を行なった際に、「津波の本質論ではこうなる」 という議論をするのではなく、「現実的に考えて、だいたいこれくらいの波に対応しておけばいいでしょう」 ということをやってしまった。


私はゲノム科学の専門家ですが、私たち専門家が言わなくてはならないのは、現実はこうだと考えて結果に手心を加える、ということではありません。どんなに大変な事態であっても本質を正確に言わなければならない。日本の国民は馬鹿じゃありません。みな真面目で、しっかり考えてくれています。

専門家が本質論を言うことで、初めて専門家は信頼されるし、事態が回避される。今、人々がセシウムの危険性を知れば、その危険を回避するのに、何としてでもセシウムの除去をみんなで頑張ってやろうとか、どんなに大変でも食品の検査をやっていこうとか、そういうふうになっていきます。

だから、健康被害の問題について、こういう可能性があるということをまずきちんと言うのが、われわれ医学の専門家の責任です。「最初からこれを言ったらこっちがダメだろうから」 と折り合いをつけてしまったら、専門家ではなく政治家です。


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危険なことがあったら、これは本当に危険だから、苦労があっても何でもやっていこうと国民に伝えるのが専門家です。何も政治家みたいに折り合いをつけることじゃない。危険を危険だとはっきり言うのが専門家なのです。

今までの原子力学会や原子力政策のすべての失敗は、専門家が専門家の矜持を捨てたことにあります。国民に本当のことを言う前に政治家になってしまった。経済人になってしまった。これの反省なくしては、われわれ東京大学も再生はありえないと思っています。


内部被曝の真実 59頁


児玉教授のこの真摯な姿勢には大変共感を覚えました。「専門家は政治家であってはならない」・・・名言です。