シュガーローフ

シュガーローフ頂上にある碑文

7月5日から一泊二日の行程で沖縄行って来ました。沖縄行くのは初めてですが、今回は所用のため観光地に行けたのは首里城公園だけ。しかも首里城もほとんど見れず、公園のレストランでタコライス定食を食べただけという非常に慌しい道程でした。

しかしどうしても行きたかったのが「那覇市おもろまち1丁目6番地」・・・知る人ぞ知る「シュガーローフ」です。沖縄都市モノレールで「古島」駅へ行った帰り、隣の「おもろまち」駅からすぐとのことで寄ってみました。

日本人には馴染みがないですが、シュガーローフは日本軍の防衛拠点となった小さな丘で、米第六海兵師団の攻撃を何度も撃退し、多くの中隊を壊滅させ、死傷者2662名・戦闘疲労*11289名の損害を米軍に与えた、沖縄戦の最激戦地の一つです。地元の人ですら知らない人が多いですが、米軍、とりわけ第六海兵師団の兵士にとっては忘れることのできない、まさに悪魔のような要塞だったそうです。シュガーローフの戦いが終わった後、麓や丘の斜面には数えきれない程の海兵隊員と日本兵の死体が散らばり、ある兵士の証言では「人間の肉片があたり一面に散らばってた」と、まさに食肉処理場のような凄惨な光景だったとのことです。この戦闘の詳細は、ジェームス・H・ハラスの 「沖縄シュガーローフの戦い」(原題:Killing ground on Okinawa) に詳しいです。


沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間 (光人社NF文庫)

沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間 (光人社NF文庫)


シュガーローフのある「おもろまち」駅に着いて驚いたのが、那覇新都心ということで開発が進み、多くの若者や家族連れが行き交い、ショッピングセンターにはルイ・ヴィトンやロレックスという超高級ブランドまで出店してるほどの華やかさ。70年前、日米合わせて数千人もの死者が出た殺戮の荒野の面影は、いまや微塵もありません。ともあれ、巨大な配水タンクを目指して坂を上り、急こう配な階段を上り切る頂上に着くと、小さな碑文が見えました。この碑文が唯一70年前の激戦を記し留めているものです。


シュガーローフの頂上に立てられた巨大な配水タンク


シュガーローフの展望台から碑文を見下ろす。遠方に首里高地が見える


70年前の戦跡を記し留めるものは・・・これだけ!


幅100メートル高さ15メートルの小さな丘、実はこの丘こそ日本の防衛ラインである首里戦線の西端に位置し、他の二つの丘と連携して、一週間に渡り米第六海兵師団の攻撃を何度も撃退し、大勢の海兵隊員を殺戮した日本軍の極めて頑強な陣地であったとは、今や面影すらもありません。ある意味、これが今の沖縄の現実なのかも知れないと思いつつ、シュガーローフを後にしました。


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*1:精神崩壊し戦闘行動不可能になった者